応仁の乱は、ひとりの悪人が起こした事件ではない。 裁定できない将軍、主導権を争う有力大名、局地的な家督争い、そして廃絶されない権威。 それぞれのアクターの位置を見ると、「誰も終わらせられなかった」理由が見えてくる。
従来は「日野富子が自分の子を将軍にしたかったため、足利義視を敵視した」と説明されることが多かった。 しかし義視の妻は富子の妹であり、富子が義視を完全に敵視していたという単純な悪女説は成り立ちにくい。 このページでは、富子と義視を補足に留め、応仁の乱を個人の悪意ではなく、裁定不能になった政治構造として読む。