応仁の乱で中心は壊れた。しかし、天皇・朝廷という権威の器は残った。 信長、秀吉、家康はそれを消すのではなく、それぞれ別の形で利用し、上に新しい権力を積んでいった。
このページでは、応仁の乱で弱まった中心が、信長・秀吉・家康を経てどのように再統合されたのかを見る。 重要なのは、三人とも天皇・朝廷を消さなかったこと。新しい権力は、古い権威を廃絶せず、その上に乗った。
信長は、室町幕府の古い秩序、寺社勢力、戦国大名同士の均衡を大きく崩した。 しかし、天皇・朝廷という権威そのものを廃絶したわけではない。
信長の革新性は、すべてを白紙にしたことではなく、 古い秩序を壊しながらも、正統性の器を残した点にある。
秀吉は武力で天下統一に近づいたが、従来の武家棟梁としての正統性だけでは支配を安定させにくかった。 そこで使ったのが、朝廷の官職である関白だった。
関白は、天皇を補佐する朝廷最高級の官職。 秀吉はこの官職を得ることで、武力による支配を「朝廷から認められた支配」として見せることができた。
家康は、秀吉の関白政権とは別の形で権力を固定した。 それが征夷大将軍という、武家の棟梁としての官職だった。
征夷大将軍は、朝廷から任じられる官職でありながら、武家支配を制度化するのに適していた。 家康はこの官職を使い、徳川家による大名支配を、個人の軍事力だけでなく幕府という制度へ移していった。
信長、秀吉、家康は、それぞれ違う方法で天下統一へ向かった。 しかし共通していたのは、天皇・朝廷を廃絶しなかったことだった。
信長は壊した。秀吉は借りた。家康は制度化した。 つまり天下統一とは、単なる武力統一ではなく、古い権威を消さずに、その上に新しい権力を乗せる過程だった。