藤原氏・公家は、常に政治の実権を握り続けたわけではない。 しかし、血統・家名・家格・儀礼・婚姻・教養は、形を変えながら社会の上層に残った。
藤原氏・公家を読む時に危険なのは、すべてを「藤原氏」という一語でまとめてしまうこと。 実際には、氏族としての藤原氏、天皇の外戚としての藤原氏、摂関家・五摂家、公家・華族・文化資本は分けて読む必要がある。
藤原氏の強さは、天皇を倒したことではない。 天皇制の外側に立ちながら、婚姻と外戚関係によって、天皇の近くに入り込んだことにある。
藤原氏の権力は、天皇を倒すのではなく、婚姻によって天皇の内側に近づくことで成立した。
藤原氏・公家の実権低下は、一度の事件で起きたものではない。 院政、武家政権、土地と軍事の移動によって、朝廷内部の家格だけでは政治を動かしきれなくなっていった。
公家は、軍事力を失っても、制度の中から完全には消えなかった。 その理由は、政治権力とは別に、官位、儀礼、文書、婚姻、教養、家格を担う役割が残ったからである。
明治国家は、公家や大名を単純に消したわけではない。 それらを華族制度の中へ再編し、旧来の家格を近代国家の身分秩序へ翻訳した。
明治国家は、旧公家・旧大名・功臣を華族制度へ組み込み、古い家格を近代国家の序列へ翻訳した。
藤原氏・公家は、現代への接続が魅力的なテーマだが、ここは最も誤読しやすい。 家名、血統、制度、文化資本、現代人物への接続は必ず分ける。
藤原氏・公家は、政治権力を握る主体から、家格・儀礼・婚姻・文化を担う主体へと位置を変えていった。
藤原氏・公家は、朝廷、武家政権、近代国家の再編をつなぐアクターとして読む。